sayonara_moon’s blog

野良猫を見てしまったから今日も死ねない

芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」分かる〜〜‼️‼️‼️って話

例えば家族関係が激悪だとか、クラスで虐めにあっているとか、そういう明確な原因がある訳じゃないんですよ、強いて言うならめちゃくちゃ上手く行ってるんですよ

でも、何かの拍子で急に心臓が締め付けられるような、天秤に重りが足されたような、そういうしんどさが襲ってくる
明確な原因があればどうとでも出来るのに、逃げる方法があるのに、理由が一つも無いからこそ苦しくて辛い
この辛さになったとき、外だとしても寝っ転がって丸まって楽になりたい、何もしたくないと思うんだけど、別に丸まったところで楽になる訳じゃない。だって100キロの重り抱えてる人が寝転んだところで重り抱えてることに変わりないですし。
そうやって原因が掴めないぼんやりとした不安を抱えた結果死にたくなる気持ち凄い分かる。だって何してもずっとまとわりついてしんどくて辛くて、でもどうしようも無かったらもう死ぬしかないんだから。私は辛くなるのにムラがあるからどうにか折り合いつけてるけど、これがずっとだったら気狂って死ぬわ!

今の時代そんなに辛いなら病院行けよ、って言われるかもしれないけれど、これでもし何の病名もつかなかったら死ぬしかないから行く勇気出ない。病気じゃなかったら良くない?と思う人、居ると思います。
でも考えて見てほしいんです、「病名がつかなくてもしんどいことには変わりない」←これなんですよね。
もし病名がつかなかったら自分としては辛いのに、周りから見たら辛い辛い騒いで病院行ったのに何でもなかった自意識過剰になるし、私は、他の病気の人はもっとしんどいんだ…私は所詮ただの自意識過剰でこのしんどいのも皆抱えてるんだから頑張んなきゃ……って思うしかない訳ですよ。しかも治療もくそも無いからしんどいのとは一生付き合って行くしかない。
もう、こうなったら本当に死ぬしか無いんですよね。だって楽になりたくて病院に行ったのに、死ぬ以外で楽になれないって言われたようなものだから。一応、酒とタバコと薬に溺れるもありですよ!?嫌ですけど。

はっきり言って死ぬ勇気もないカスですし、こんなことつらつら言ってるけど、これからも病院行かずに自分にどうせ大丈夫、なんとかなる、どうにか出来る、って言い聞かせながら変わらない日々を送るわけですよ。そうやって死ぬまでやってくと思ったら、
どうしようもなく死にたいですよね。
別に未来に絶望したとか、今絶望してるとかじゃなくって、「このまま十年、二十年生きるなんて出来るの…?無理じゃない……?」ってぼんやり感じ続けていて、心のどこかで無理だという事実に気づいているからやめ時を探している。実際今も死ぬ瞬間を先延ばしにしてるだけなんですよ。死ぬ覚悟が無いから先延ばしにしているだけ。

じゃあいざ死ぬとして、その理由は何かって聞かれたら、「将来へのぼんやりとした不安」になるんじゃないかなぁ。だなんて芥川龍之介さんに勝手に共感したバカの戯言でした。

 

支離滅裂な文ですみません。いい夢を、